田名部横町の 川の水飲めば
八十 婆様もノオ 若くなる
田名部おしまこの 音頭とる者は
大安寺やなぎのノオ 蝉の声
今年ゃよい年 世の中繁昌
米は一石ノオ 粟二石
踊りおどるなら 寺の前で踊れ
寺の和尚様 見てほめる
踊りおどるも 昨日今日ばかり
明日は山々の 草とりに
●『田名部おしまこ』の由来●
「田名部おしまこ」は、下北生まれ下北育ちの盆唄です。
今から約340年前の寛文四年(1664)七月、南部藩第二十八代藩主の南部重直公が視察で下北を訪れました。時は盆の頃。代官所が置かれていた田名部(現在のむつ市)は盆踊りで賑わっていました。そこで、殿様は老若男女を集めて御前にて盆踊をさせました。その中にいたのが「おしま」。「おしま」はひときわ美しいく、また澄みわたる 美しい声の持ち主でした。
「おしま」の音頭で踊る人々・・・。
重直公は大変ご満悦で、褒美を取らせたそうです。これが今に伝えられる「おしまこ」の由来です。
●『田名部おしまこ』の派生について●
「田名部おしまこ」誕生の一説には、「ナニャトヤラ」から派生したというのがあります。
「ナニャトヤラ」は青森の三戸、岩手の二戸・九戸のあたりで唄い踊られ、「なにゃとやら なにゃとなされの なにゃとやら」あるいは「なにゃどやれ なにゃどなされの なにゃどやれ」と意味不明の歌詞を繰り返して唄い踊ります。「にゃ」の部分が目立つからでしょうか、別名「ねこおどり」ともいわれます。
先にも述べたように、「なにゃとやら」は当初「なにゃどやれ なにゃどなされの なにゃどやれ」と五・七・五調の反復であったそうです。これに新しい歌詞がどんどんつけられていき、さらに江戸時代に入るとそれより長い七・七・七・五調が生まれ、この頃に「なにゃとやら」から「おしまこ」が派生したというのが民謡研究者たちの見解のようです。
●『田名部おしまこ』の流行●
「おしま」が音頭をとった盆唄は「おしま」という名に「〜こ」をつけて「おしまこ」と呼ばれるようになりました。その後、「おしまこ」は下北のみならず現在の八戸市、三戸郡一帯で大いに流行って踊られたのですが、それも時代とともに次第に衰えてしまいました。
八戸周辺で唄われていた証は「八戸小唄」の中に見られます。その4番に「おしまこ」は
嶽の日和に稲の花ざかり 娘おどれよおしまこ踊り 城下二万石 菊の郷
という形で登場します。「八戸小唄」が作られたのは昭和6年(1931)のことですから、昭和初期までは八戸周辺の人も「おしまこ」を知っていたのだ思います。
●「おしま」と下北美人●
「おしまこ」は唄の名称そのものなのですが、先にも述べたように「おしま」は大変美しい女性であったと伝えられておりますので、その美しさにちなみ、「おしまこ」とは下北美人の代名詞ともなっております。
田名部祭り初日の8月18日に行われる「おしまこ流し踊り」では、ミスおしまこがパレードに華を添えてます。